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リフォーム課 山口
こんにちは。
山口です。
「あの人は優しい」
普段何気なく使うこの言葉ですが、その中身を分解してみると、実は私たちが思っているほど美しくも、シンプルでもないのかもしれません。
例えば、このイラストのようなシチュエーション。

親切(介入)と寛容(見守り)の境界線とは?
雨の日に見かけた捨て猫を、傘を差し伸べて抱き上げる。
誰もが「優しい行動」「親切な行い」だと口を揃えるはずです。
しかし、今日はあえて、この日本語の「優しさ」の根底にある2つの要素
――「親切」と「寛容」――
の正体について、少し冷徹に、そして深く掘り下げてみたいと思います。
実はこの2つ、お互いが引き合い、反比例する関係にあります。
その深層心理を覗くと、人間のエゴと本質が見えてきます。
私たちは「困っている人に親切にしよう」と教わって育ちます。
親切とは相手が求めていることを的確に行うことで、相手にとっては負担にならず嬉しいサポートになります。
しかし、「相手が求めていること」の多くは、「自分がされて嬉しいことを、相手にも施す」という行為にすぎません。
先ほどのイラストの例で言えば、「雨に濡れて可哀想だから、家に入れて人間と同じ温かい環境で育てるべきだ」という、人間の尺度(価値観)の押し付けである、という見方もできてしまいます。
ここに1つの罠があります。
ビジネスの場でも、よくこんな言葉を耳にしないでしょうか。
「俺は友達(チーム)だからあえて言うけどさ」
「お前のことを思ってアドバイスしているんだよ」
こうした言葉の裏側には、「自分の価値観こそが正しい」という絶対的な前提が存在します。
つまり、親切という美しい包み紙の中身は、「相手を自分の型にはめたい」「自分の思い通りに従わせたい」という、無意識の支配欲(深層意識)が介在している可能性があるのです。
親切にすればするほど、相手の主体性を奪い、コントロールする結果になりえる。
これが「親切」が持つ1つ目の側面です。
では、もう一方の「寛容」はどうでしょうか。
寛容とは、相手を自分とは異なる「1つの個」として認め、その価値観や行動をそのまま受け入れる姿勢です。捨て猫の例で言えば、「野良猫には野良猫の生き方がある」と、手を出さずに見守る態度に近いかもしれません。
相手を自分の型にはめようとしないため、一見すると究極の優しさのように思えます。
しかし、これもコインの裏表です。
相手のやることに口を出さず、ありのままを認めるということは、裏を返せば「相手に興味がない」ということでもあります。「あなたはあなた、私は私」という境界線は、尊重であると同時に、冷徹な突き放し(無関心)でもあるのです。
相手に期待もしなければ、介入もしない。だからこそ「寛容」でいられるわけです。
こうして見ると、2つの要素がなぜ反比例するのかがよく分かります。
親切を強めると: 相手への関心は高まるが、コントロール欲が働き、寛容さが失われる(=お節介・支配)。
寛容さを強めると: 相手の自由は尊重されるが、関心が薄まり、親切心が失われる(=放置・無関心)。
関心を持つと支配したくなり、尊重しようとすると無関心になる。
私たちが「優しい人」になろうとする時、常にこの矛盾の狭間で揺れ動くことになります。
この冷徹な現実を踏まえた上で、私たちが目指すべき心地よい人間関係のバランスとは何でしょうか。
ここで、1つの提案があります。
それは、「8割の寛容(無関心)と、2割の親切(お節介)」という比率を意識してみることです。
基本的には、相手を「別の生き物」として認め、適度な距離を保って過度に期待しない(8割の寛容)。
しかし、相手が本当に困っている瞬間や、ここぞという時にだけ、自分のエゴであると自覚しながらも、そっと手を差し伸べる(2割の親切)。
このバランスを意識することで、相手を窒息させることも、孤独に突き放すこともない、現代的な「本当の優しさ」が見えてくるのではないでしょうか。
皆さんの周りにある「優しさ」は、今どちらに傾いていますか?
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