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スタッフブログ
リフォーム課 山口
先日子供が園の劇で「ジャックと豆の木」を演じていました。
牝牛と交換した豆が木になり、登ると雲の上の巨人の城で宝物を見つけ、それを盗んで富を得るという噺です。
劇でのストーリーでは豆の木を切り倒し、追いかけてきた巨人を落として一件落着となっています。
そこで感じたのは「これってただの窃盗では」ということ。
後日調べてみると
「その後、盗んだ宝物を使い果たし、母に諭されてジャックは真面目に働くようになった。」
という後日談が存在しているようです。
つまり、「ジャックという主人公が、盗みという手段で得た富の虚しさを知り、真面目になる」という成長ストーリーなのです。
では豆の木から落ちて死んだ巨人は一体どんな人物だったのでしょう。
劇中では金銀財宝、金の卵を産む鶏、ハープをこよなく愛するというキャラクター像でした。
概ね財宝の出所は人間から略奪したという描写が多いようです。
また巨人には妻がおり、ジャックに帰るよう促すシーンもあるようです。
この事から、他種族は迫害するが、愛や愛情は持ち合わせており、音楽を嗜む知性も存在することがわかります。
このような知性を持つ巨人に対し、略奪と墜落死を行ったジャックに罪はないのでしょうか?
入手方法はどうあれ、愛する物を奪われた巨人がジャックを追いかけてくるのは当然では?
巨人が墜落死して雲の上の城にひとり残された妻は?
仮に巨人がそういった「人間」で、「現代」の「日本」だったのなら、
窃盗犯の「巨人」に対し強盗殺人を犯した「ジャック」となるはずです。
仮に「巨人」が犯罪者だとしても、ジャックの免罪符にはなり得ないのです。
現代日本風に書き直すとすれば、ジャックは罪を償うため服役する描写があり、
出所して、母に「本当の幸せは他人から奪ったものに頼らず、額に汗を流して、自分の努力で掴むものだ」と諭され
犯罪者というハンデを背負いながらも人生をリスタートするという流れになるでしょう。
過ちというのは故意にしろ過失にしろ、償い背負いながら誰しも生きていくのです。
明日は我が身であると同時に、何かを背負いながら頑張っている人を応援したいと思います。
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